培養肉は願望を叶える鍵か、幻か
私はwired.jpの一覧記事を読むことを日課としているのですが、本日みた記事にこんなものがありました。
記事にも説明がありますが、培養肉とは豚や牛の細胞を培養して、食肉とできるような「肉塊」としたものです。
この記事ではこの培養肉を肉と呼ぶのか、食肉と同列扱いするのか、などの議論の一端を取り上げているわけであります。
私がこの記事をみて思ったのは「培養肉なんてものがあるんだ」ということです。
知らなかったのです。その存在を。
実は、以前からこの培養肉的なものは現在の科学技術で実現可能なはずだし、さまざまな問題を解決するのにきっと役立つはずだと考えていたのです。
iPS細胞が話題になったのはもう数年前のことです。
私がネットで情報を集めていた時のはなしですが、iPS細胞のことが語られるとき、ほとんどの場合医療に役立つという説明がされていました。
ヒトから採取した細胞を増やして、例えばなんらかの理由で腕や足を失ってしまったひとに、その人の細胞で生成した腕や足を移植することができるかもしれない、と。
すばらしい。なんてすばらしい技術なんでしょう。
上述した記事には、培養肉も要はiPS細胞と同じかもねという内容が書いてあるようにみえました。
さて、私は常々、愛するひとを食べてみたいという欲求をもっています。
カニバリズムのようなものではないと自負しています。
愛するひとをみて、愛のあまり「このひとを食べてしまいたい」と思うことがあります。
比喩ではなく、できることなら本当に食べてみたい。
この人の細胞を取り込みたい・・・できるなら自分の体組織になるかたちで・・・。
愛するひとには、「食べたいっ」と思うたびに言葉で伝えるようにしています。
幸い、「痛くないならいいよ」と言ってくれています。どこまで本気かわかりませんが。
でももちろん、実行はしません。
なぜなら、倫理的に問題があるし、愛するひとが苦痛をおうかもしれないからです。
愛するひとを傷つけずに、自分のこの気持ちを満たす方法はないか、と考えていた時に
iPS細胞のすばらしい夢の展望を知り、これだ!と思いました。
こんな私の邪な理由で使うことはゆるされない技術だと承知の上で、iPS細胞をつかって愛しいひとの細胞を増殖させ、それを摂取できたら・・・と妄想しました。
培養肉の記事は、私の妄想が現実となっているように見え、愛するひとに伝えなければ!と思い立ちました。
なのでこのエントリーを書いています。
ちなみに、私は培養肉がスーパーで買えるようになったら、率先して買うでしょう。
肉に含まれる栄養素は、培養肉に含ませることが可能なはずだし、細菌面でのリスクは生物肉より少ないはずだからです。
培養肉だとしても、生き物の細胞をいただいているので、生命に感謝の精神を失うことはないでしょう。